2015.03.31 Tuesday
踊り場
年度末最終日、NKは、前場の初めに大きく上げて、
プラマイゼロで後場に突入。最終的には、
マイナス204円(前日比1%超)と大きく下げて引けた。
20000円の可能性は、大きく遠のいた感がある。
ただ、ここから反転して下降トレンドに向かうかは怪しい。
個別株では力強く上げているものもあり、なんとなく
中小型株や新興市場に資金がシフトしてきた感もある。
「ろくすけカブス」のスタメンにも名を連ねる、
日本管理センター(3276)
NDソフトウェア(3794)
の本日の上昇振りには思わず、
蜀を我が物にせんと進撃する劉備軍における、
魏延と黄忠の働き振りを連想してしまった程だ。
劉備が蜀を切り取って、三国分立の形が出来た後のように、
相場的には一息ついて、次のトレンドを伺う
「踊り場」を迎えたのではないかと思う。
株は基本的に、ボックストレンドと呼ばれる、
踊り場の時間帯が最も長いものだ。
含み損を抱えて戻り売りするのを待ち構えている層が、
株価の上昇を抑える反面、
カラ売りの利益確定で、買い戻しを狙っている層が、
株価の下落にブレーキをかける、
買い方と売り方の思惑が交錯して、均衡状態が生まれる。
ホールド期間が長くて一週間の短期投資家であれば、
上値の抵抗線と、下値の支持線を把握して売買すれば、
繰り返し利食いのタイミングを掴めるかもしれない。
ただ、理論上はある程度理解できても、
ミスターマーケットの動きを読むのは難しく、
精神的なタフさも必要となるため、
実際に上手くいく可能性を考えると高くないのではないか。
自分に関していえば、
「結局、何も動かない方が良かった」という経験ばかりだ。
買い方と売り方の思惑と、
それぞれの資金規模といった力学から生じる、
短期間の値幅を狙って利鞘を抜くという行為に、
情熱を見出すことが出来ない。
投資とは個別企業の将来性とか、
理想の社会の実現に参画する目的から行う行為だ。
利鞘を抜くことに注力し出すと、
それは徐々に、投機に変質していくことになり、
個別企業の分析というよりは、
株価チャートと出来高の分析に情熱が向く。
株闘スタイルは人それぞれであるが、
自分はサラリーマンをしていることもあり、
手数は少なく、精神的に疲れないことを重視する。
また、ビジネス書の影響が強いが、
”精神的な余裕や、心の豊かさが、
資産というカタチをもって実現する”という、
ややスピリチュアルな哲学を持っている。
心が疲弊した状態では、財産を気づくことはできず、
心の豊かさと財産の規模は、増大にしろ、減少にしろ、
比例していくものだと考えている。
よって、踊り場では特に、値動きに翻弄されず、
ポートフォリオの再点検に注力し、
「後悔の少ない選択」を重ねる意識で、
「最善を尽くす」ことを考えている。
ただ、それでも動きたくなる気持ちが出てくる。
そんなときに考えるのは、
”適時開示といったトリガーもなく、株価が動くのは、
投資家心理の揺れでしかない”
ということだ。
成長シナリオや社会情勢に著しい変化がないのであれば、
ホールドし続けることが合理的な選択なはずだ。
ただ、大きく動いたとき、特に崩れたときは、
投資家が精神的な弱さを露呈した結果なので、
むしろ買い増しのチャンスかもしれないが、
インサイダー等から重大な事実が漏れていることもあるので、
これも動かずに、決算発表や適時開示を待つのが無難だ。
毎日のように株価をチェックしていると、
あたかも株価チャートを買ったような錯覚に陥るが、
成長シナリオに投資していることを忘れないようにしたい。
そして、成長シナリオが崩れたのなら、潔く精算しよう。
授業料を払えば、払った分だけの株闘経験が財産になる。
よって、後悔の少ない選択としてできることは、
特定の銘柄に、潔く精算するのをためらう金額を投じないよう、
分散投資の比率を確認することだろう
(その結果、リバランスという選択をとることは
頻度にもよるが、正しい選択と考える)。
当たり前と思えるようなことを、くどくどと書き連ねたが、
どれも、方向感の掴めない初心者に対する言葉であると同時に、
踊り場で失敗を重ねてきた自分に対する戒めでもある。
儲けようとすればする程、意識すればする程、
結果は出なくなって、どんどん空回りして、
何もしないで寝ていた方がマシになることもよくある。
基本に忠実に、踏み外すことがないように、
かつ、神経をすり減らすことがないように臨みたい。
プラマイゼロで後場に突入。最終的には、
マイナス204円(前日比1%超)と大きく下げて引けた。
20000円の可能性は、大きく遠のいた感がある。
ただ、ここから反転して下降トレンドに向かうかは怪しい。
個別株では力強く上げているものもあり、なんとなく
中小型株や新興市場に資金がシフトしてきた感もある。
「ろくすけカブス」のスタメンにも名を連ねる、
日本管理センター(3276)
NDソフトウェア(3794)
の本日の上昇振りには思わず、
蜀を我が物にせんと進撃する劉備軍における、
魏延と黄忠の働き振りを連想してしまった程だ。
劉備が蜀を切り取って、三国分立の形が出来た後のように、
相場的には一息ついて、次のトレンドを伺う
「踊り場」を迎えたのではないかと思う。
株は基本的に、ボックストレンドと呼ばれる、
踊り場の時間帯が最も長いものだ。
含み損を抱えて戻り売りするのを待ち構えている層が、
株価の上昇を抑える反面、
カラ売りの利益確定で、買い戻しを狙っている層が、
株価の下落にブレーキをかける、
買い方と売り方の思惑が交錯して、均衡状態が生まれる。
ホールド期間が長くて一週間の短期投資家であれば、
上値の抵抗線と、下値の支持線を把握して売買すれば、
繰り返し利食いのタイミングを掴めるかもしれない。
ただ、理論上はある程度理解できても、
ミスターマーケットの動きを読むのは難しく、
精神的なタフさも必要となるため、
実際に上手くいく可能性を考えると高くないのではないか。
自分に関していえば、
「結局、何も動かない方が良かった」という経験ばかりだ。
買い方と売り方の思惑と、
それぞれの資金規模といった力学から生じる、
短期間の値幅を狙って利鞘を抜くという行為に、
情熱を見出すことが出来ない。
投資とは個別企業の将来性とか、
理想の社会の実現に参画する目的から行う行為だ。
利鞘を抜くことに注力し出すと、
それは徐々に、投機に変質していくことになり、
個別企業の分析というよりは、
株価チャートと出来高の分析に情熱が向く。
株闘スタイルは人それぞれであるが、
自分はサラリーマンをしていることもあり、
手数は少なく、精神的に疲れないことを重視する。
また、ビジネス書の影響が強いが、
”精神的な余裕や、心の豊かさが、
資産というカタチをもって実現する”という、
ややスピリチュアルな哲学を持っている。
心が疲弊した状態では、財産を気づくことはできず、
心の豊かさと財産の規模は、増大にしろ、減少にしろ、
比例していくものだと考えている。
よって、踊り場では特に、値動きに翻弄されず、
ポートフォリオの再点検に注力し、
「後悔の少ない選択」を重ねる意識で、
「最善を尽くす」ことを考えている。
ただ、それでも動きたくなる気持ちが出てくる。
そんなときに考えるのは、
”適時開示といったトリガーもなく、株価が動くのは、
投資家心理の揺れでしかない”
ということだ。
成長シナリオや社会情勢に著しい変化がないのであれば、
ホールドし続けることが合理的な選択なはずだ。
ただ、大きく動いたとき、特に崩れたときは、
投資家が精神的な弱さを露呈した結果なので、
むしろ買い増しのチャンスかもしれないが、
インサイダー等から重大な事実が漏れていることもあるので、
これも動かずに、決算発表や適時開示を待つのが無難だ。
毎日のように株価をチェックしていると、
あたかも株価チャートを買ったような錯覚に陥るが、
成長シナリオに投資していることを忘れないようにしたい。
そして、成長シナリオが崩れたのなら、潔く精算しよう。
授業料を払えば、払った分だけの株闘経験が財産になる。
よって、後悔の少ない選択としてできることは、
特定の銘柄に、潔く精算するのをためらう金額を投じないよう、
分散投資の比率を確認することだろう
(その結果、リバランスという選択をとることは
頻度にもよるが、正しい選択と考える)。
当たり前と思えるようなことを、くどくどと書き連ねたが、
どれも、方向感の掴めない初心者に対する言葉であると同時に、
踊り場で失敗を重ねてきた自分に対する戒めでもある。
儲けようとすればする程、意識すればする程、
結果は出なくなって、どんどん空回りして、
何もしないで寝ていた方がマシになることもよくある。
基本に忠実に、踏み外すことがないように、
かつ、神経をすり減らすことがないように臨みたい。