2005.12.24 Saturday
クリスマスに芸能を語る有様
今年の紅白の目玉は、どこか知らない世界に飛んで逝ってしまったガンダムのオープニング曲を歌ってた娘らしい。
個人的に、みのもんたが司会というのはどうかと思うが、
若かりし頃、NHKでアナウンサーを志望していたというみのもんた自身は個人的に良かったのではないか。
アムロがでて、ウタダがでて、間にはカハラやスズキアミがでて、
コムロが衰退してきて、椎名林檎やらミーシャやらでてきて、
浜崎あゆみがブレークして・・・
正直、浜崎が出たときはカハラの2番煎じくらいの印象だったが、
この世界(ディーバ市場)は後追いでもなんか、巧くのっかっていっちゃう感じがある。
「安室奈美恵→知念里奈」
「宇多田ヒカル→倉木麻衣」
「椎名林檎→矢井田瞳」
「UA→(シルバ?)→小柳ゆき」
「鬼束ちひろ→平原綾香」
「川本真琴→(間になんかあったよーな?)→大塚愛」
個人的な感覚なので、「それは違うよ!」という意見もありそうだが、
「まぁ、そういやそうだね」という意見の方が多いような気がする。
いずれも参入時には、開拓者の勢いを借りた部分はあったにせよ、
その後独自色を打ち出していったことで、自分の市場を確立したように思う
(なかには最近とんと見かけなくなった方もおられるが)。
僕が一番しっくりのは「TMN→B'z」だが、スパンが短く、入れ替わりが激しくなったというだけで、女性歌手というのは、時代を担うタレント(カリスマ)が必ずいる。
そうしたカリスマによって、芸能の、時代の色付けがされているように思うのだが、
時代が進むにつれ、そうした色もどんどん多極、局地化、されていくように思う。
たとえば90年代、1000万人の80パーセントの熱狂で作られた1大ムーブメントが、これからは、50万人の60パーセントの熱狂で、同時期に20くらいのムーブメントが起きているような感じだ。
メディアがテレビ一本ではなくなり、CDを買う形態からダウンロードする形態に変わったなど、ハード的な選択肢が増えた一方で、ソフトの方は代わり映えがしなくなっている。
当時も現在も理解できないものは、将来においても理解できない確率はより高くなっているし、そうしたものの存在にさえ気づかないまま通り過ぎていくような時代になっているように思う。
新しいガンダム(それも一昔前になるが;)のオープニングを歌っていた娘が、大晦日に紅白で無茶をして、抗議電話が殺到しても、社会的なインパクトは薄いだろう。
僕自身が年齢を重ねて動じなくなったことや、紅白歌合戦の権威が落ちたこともあるが、嗜好の多極化が一番の要因と考える。
話題は他にもあるし、ソレナリにハマれるコンテンツはいくらでもあるのだから「そんなん、どーでもいーよ」「だからナニ?」という感覚になるわけだ。
大晦日の晩、家族のつきあいでテレビを見るにしても、よくわからないアイドルより、親近感の持てるお笑い芸人の番組の方がいい。
けど、コタツでテレビを観ている状態はソレナリにはっぴぃだが、第一希望ではない。年越し時点の選択肢はもっと広がってるものと期待してしまう。
個人的に、みのもんたが司会というのはどうかと思うが、
若かりし頃、NHKでアナウンサーを志望していたというみのもんた自身は個人的に良かったのではないか。
アムロがでて、ウタダがでて、間にはカハラやスズキアミがでて、
コムロが衰退してきて、椎名林檎やらミーシャやらでてきて、
浜崎あゆみがブレークして・・・
正直、浜崎が出たときはカハラの2番煎じくらいの印象だったが、
この世界(ディーバ市場)は後追いでもなんか、巧くのっかっていっちゃう感じがある。
「安室奈美恵→知念里奈」
「宇多田ヒカル→倉木麻衣」
「椎名林檎→矢井田瞳」
「UA→(シルバ?)→小柳ゆき」
「鬼束ちひろ→平原綾香」
「川本真琴→(間になんかあったよーな?)→大塚愛」
個人的な感覚なので、「それは違うよ!」という意見もありそうだが、
「まぁ、そういやそうだね」という意見の方が多いような気がする。
いずれも参入時には、開拓者の勢いを借りた部分はあったにせよ、
その後独自色を打ち出していったことで、自分の市場を確立したように思う
(なかには最近とんと見かけなくなった方もおられるが)。
僕が一番しっくりのは「TMN→B'z」だが、スパンが短く、入れ替わりが激しくなったというだけで、女性歌手というのは、時代を担うタレント(カリスマ)が必ずいる。
そうしたカリスマによって、芸能の、時代の色付けがされているように思うのだが、
時代が進むにつれ、そうした色もどんどん多極、局地化、されていくように思う。
たとえば90年代、1000万人の80パーセントの熱狂で作られた1大ムーブメントが、これからは、50万人の60パーセントの熱狂で、同時期に20くらいのムーブメントが起きているような感じだ。
メディアがテレビ一本ではなくなり、CDを買う形態からダウンロードする形態に変わったなど、ハード的な選択肢が増えた一方で、ソフトの方は代わり映えがしなくなっている。
当時も現在も理解できないものは、将来においても理解できない確率はより高くなっているし、そうしたものの存在にさえ気づかないまま通り過ぎていくような時代になっているように思う。
新しいガンダム(それも一昔前になるが;)のオープニングを歌っていた娘が、大晦日に紅白で無茶をして、抗議電話が殺到しても、社会的なインパクトは薄いだろう。
僕自身が年齢を重ねて動じなくなったことや、紅白歌合戦の権威が落ちたこともあるが、嗜好の多極化が一番の要因と考える。
話題は他にもあるし、ソレナリにハマれるコンテンツはいくらでもあるのだから「そんなん、どーでもいーよ」「だからナニ?」という感覚になるわけだ。
大晦日の晩、家族のつきあいでテレビを見るにしても、よくわからないアイドルより、親近感の持てるお笑い芸人の番組の方がいい。
けど、コタツでテレビを観ている状態はソレナリにはっぴぃだが、第一希望ではない。年越し時点の選択肢はもっと広がってるものと期待してしまう。